4年生の想い part8
- tsukubarugbykouhou
- 4 日前
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日頃より筑波大学ラグビー部への多大なるご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。
シーズンも終盤に差し掛かり、本年度もラストシーズンを戦う「4年生の想い」をお伝えしていきます。
「4年生の想い」では、「なぜ筑波大学を選んだのか」、「筑波大学に入って良かったこと」、「家族への想い」、「同期への想い」、「大学ラグビー人生を表す言葉、残りの大学ラグビーへの決意」について熱い想いが綴られています。ぜひご覧ください!
第8回となる今回は、中矢陸(アナリスト/社会・国際4年/大阪桐蔭)、永山丞(/体育4年/國學院久我山)、小島慎太郎(グラウンドスタッフ/理工4年/本郷)の3人の想いを紹介します!

なぜ筑波大学を選んだのか
高校は3年間ラグビーと全く違うスポーツをしていたが、兄がラグビーをやっている姿や大学・高校ラグビーを見ていてもう一度ラグビーに関わりたいという想いがあった。そして、スポーツと勉学の文武両道を極めている人たちが多い筑波大学を選んだ。
筑波大学に入って良かったこと
本当に今までに、そしてこれからもないであろう特別な4年間を与えてくれたことです。未熟者ながら出したデータに対してしっかりと話を聞いてくださった嶋さん、コーチ陣の方々。ラグビー部での4年間を過ごすに当たり、心の支えともなった最高の同期。個性豊かな先輩方、後輩に恵まれて幸せでした。
最後に特にお世話になったアナリストの先輩方、後輩への想いを書かせてください。
先輩方
日本一を目指すチームのアナリストしてあるべき姿勢を常に示してくださりありがとうございます。途中で倒れてしまった時は本当にご迷惑をおかけしましたが、戻ってきた後も笑顔で迎えてくださり嬉しかったです。お仕事等で忙しいかもしれないですが、今一度会場まで足を運んでいただければ嬉しいです。
後輩
いつも厳しい言葉を投げかけてしまって申し訳ないです、、、
色々と噛み合わず、アナリストの組織として円滑に回っていない時期もあったと思います。
でも、みんなには本当に期待しています。僕よりも優秀な人だと自信を持って言えます。これからも筑波大学ラグビー部のために死に物狂いで作業に取り掛かっていきましょう。
家族への想い
父へ
21年間自分がやりたかったことを全力で支援してくれてありがとうございます。中高私立に行ったり、大学で関東に行きⅠ人暮らしをさせてくれたこと。また、選手としてではなくスタッフとしてラグビー部に入ったにも関わらず、会場に足を運んでくれ、筑波大学を応援してくれたことが嬉しかったです。癲癇発作を起こし倒れた時もつくばまで来てくれた時は本当にうれしかったです。箱根駅伝のスタートを見て、その足で国立競技場に向かうという父に夢をかなえられるように残りのシーズンできることを精一杯するので楽しみにしておいてください
母へ
大学に入り、お母さんのありがたみをより一層感じるようになりました。毎朝当たり前のように用意されていた朝ごはん、お弁当、家に帰れば準備されていたご飯とお風呂、本当にすごいことだと思います。大学に入学した後も生活用品を送ってくれたりしてくれてありがとうございます。残りの大学生活もよろしくお願いします。
兄へ
思い返せばずっと健太の後を追いかけていました。今までも、これからも2度と言わないと思いますがずっと憧れの兄でした。桐蔭でラグビーをすると決めて、レギュラーとして出場したこと、慶應に行くって決めて本当に合格したこと、最後にはLOリーダーを務め選手権に出場したこと、誰もが知っているような大企業にいくつも内定をもらえたこと本当に自慢の兄でした。これからもずっと弟の自慢の兄であってください。
同期への想い
本当に感謝しかないです。
みんなで買い出しに行ったり、温泉に行ったり、家でたまってゲームしたりみんなと過ごした日常生活すべてが楽しかったです。
入院中にみんなから送ってもらったビデオレター本当にうれしかったです!
本当にありがとう!!!
大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い
大学ラグビー人生を表す言葉:全て
私にとってこのラグビー部は「全て」でした。
しんどい時もつらい時もこのラグビー部があったから、最高の仲間達に恵まれたから乗り越えることができました。
残りのラグビー生活自分にできることを精一杯やり切ります。
そして国立競技場で嶋さんを、佑太朗を胴上げしたいです!!!
永山 丞(学生BKコーチ/体育4年/國學院久我山)

なぜ筑波大学を選んだのか
高校1年生の時、OBの島田悠平さんが教育実習生として来てくださったことをきっかけに、選手が主体となっている筑波のチーム性や筑波のラグビーのスタイルに惹かれていった記憶があります。大学でラグビーを続けるか悩んだ時期もありましたが、スポーツについて学びたかったことや、ラグビーをするなら筑波でやりたいという強い想いもあり、筑波大学への進学とラグビー部への入部を決めました。
筑波大学に入って良かったこと
何よりもここで出会えた人たちの存在です。同期をはじめ、コーチ陣、先輩方に本当に恵まれていたなとつくづく思います。ウエイトペアとしてもグラウンド内外でも1番お世話になった真太郎さん。1年生の頃、毎日のように一緒にキック練習に付き合ってくれた亮太郎さん。リハビリの間もいつも明るく話しかけてくれた堅人さん。名前をあげ出すとキリがないですが多くの上級生に本当にお世話になりました。関わってくださった選手・スタッフ・コーチ、一人ひとりの存在が、自分の成長を大きく後押ししてくれたと思います。
また、組織としての筑波大学ラグビー部の存在にも大きな魅力を感じます。「可能性を示し続ける」というチームの社会的使命に対し、グラウンド内外で一人ひとりが同じ方向を向いてチームに貢献している、そんな組織の一員でいられたことを誇りに思います。
筑波を選んで本当に良かったと心から思っています。
家族への想い
両親へ
これまで支えてくれて本当にありがとう。
中高6年間、毎朝早くに起きてお弁当を作ってくれ、何から何までサポートしてくれた母。生意気なこともたくさん言ったと思うけれど、いつでも自分たち兄弟のことを1番に思い、味方でいてくれました。
小さい頃から公園で一緒にボールを蹴るのに付き合ってくれ、どんな試合の後でも笑顔で声をかけてくれた父。良いプレーができた試合の後に父の嬉しそうな顔を見るのが何よりも嬉しかったです。
高校1年生の時には、ストレスからご飯が全然食べられなくなったり、大学でも怪我や脳震盪が多かったりと本当に多くの心配をかけたと思います。そんな中でも、いつも温かく見守ってくれて、自分を支えてくれた両親にはただただ感謝しかないです。振り返ると、何かをさせられたようなことは一切なく、自分のやりたいことを自由にさせてもらえていたように感じます。2人にそうさせてもらえたからこそ、今の自分があると思います。本当にありがとう。
淳へ
淳はラグビーをする上でずっと目標にしてきた、尊敬する存在です。中学生の頃からどこへ行っても「永山淳の弟」と言われ、その大きすぎる肩書きに押し潰されそうになったことも何度もありました。ただ、その第一印象のおかげで良いイメージを持ってもらえたことも多々あったな、と今では思います。ラグビーについて話した時には、いつも真摯に的確に答えてくれて、本当に頼れる存在でした。大学2年生の春、同じ12番の背番号をつけて、一つ目標にしていた兄弟対決ができたことはいつまでも忘れない一生の思い出です。今後も自分らしく突き進んでいってほしい。心から応援しています。
同期への想い
本当に個性豊かなメンバーが揃っていて、うるさいくらい活気があって最高の仲間だと思っています。新チームに向かっていく話し合いでは、そんなこともあってか意見が食い違うこともよくあったけれど、そこから目を背けずに何度もミーティングを重ねたことで、全員で同じ方向を向くことができたと思います。
この代の一員でいられて本当に良かったです。
卒業してからもまた会いましょう!
大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い
大学ラグビー人生を表す言葉:地道
一言で表すのはかなり難しいですが、この言葉を選びました。振り返ると、1年生の頃から地道な努力を惜しまずに、その過程を楽しむことができたからこそ、試合に出るチャンスを頂けたのかなと思います。最後まで地道に歩んでいきたいと思います。
残りの大学ラグビーへの想い
私は夏合宿の後、脳震盪の受傷歴や受傷状況から、もう選手としては戻らない決断をしました。ただ、部に選手以外の立場で関わることは自分にとって想像もつかないことで、自分がチームの役に立てるのか正直不安しかありませんでした。対抗戦初戦明治戦の直後、嶋さんから握手の手を差し伸べられた時に、自分が明治戦に向けて準備したことに対する達成感やチームに貢献できた嬉しさなど、様々な感情に揺さぶられグッと胸にくるものがありました。そこで初めて、これからの自分のチームに対する役割が明確に理解できたように感じます。残りのシーズンも、スカウティングを中心に、様々な面から自分にできる形でチームに最大限貢献して行こうと思います。チーム全員で絶対に日本一を獲りましょう。

なぜ筑波大学を選んだのか
国公立大学でありながらラグビーが強い大学だから。
決して裕福な家庭ではなかったので、国立大学を目指しており、その中でラグビーが強いところと考えると筑波大学しか頭にありませんでした。関東にあり、実家からも比較的近いということも幸いしていたかもしれません。
筑波大学に入って良かったこと
大きく2つ挙げられると思います。
・これまでも多くの先輩方が挙げられていましたが、「自主自律」が求められる環境に来られたこと。言い換えれば、嫌でも自分自身の弱さを突き付けられ、そして向き合わなければいけない環境に身を置けたこと。
・高校時代まで、学生生活にどこか閉塞感を抱いていた自分にとって、一定程度自由度があったり、学生自身の裁量に委ねられている空気感があったりしたこと。例えば、結果の善し悪しはともかく、チームのためになると考えることにはまずチャレンジしてみる、そういう空気感が新鮮だと感じていました。また、経歴、価値観、文化などが全く異なるバラエティ豊かな仲間にも恵まれました。特に、自分から見たら信じられないくらい優秀な人、ハードにトレーニングに取り組む人、フィールドの内外であらゆることに精力的に動き続ける人、何でも器用にできてしまう人。そういった人ばかりで、改めて筑波大学が凄い場所なんだなと感じることが多い日々だったと思います。彼らと接する機会が持てたことは、この社会に生きる1人の人間として、非常に有難いことだったと考えています。
また、自分は体育専門学群ではなく、理工学群に所属していることもあり、こうした環境の中で、日々、ハードなスケジュールを自分なりにやりくりしていく事に必死でした。オン・フィールド、オフ・フィールド問わず、皆と違って秀でた何かがあるわけでもない自分にとって、嬉しかったことや楽しかったことよりも苦しかったことや上手くいかなかったことの方が多かったように思います。ですが、この経験を生かすも殺すも自分次第。このつくばの地で得たものを糧に、これからの人生を歩んでいきたいと思います。
家族への想い
両親へ
お互いに、決して綺麗な言葉で語れるような思いだけではないと思います。我々家族はそれぞれがそれぞれの方向を向いていて、ものすごく仲が良いというわけではないと思いますが、これからもお互い健康にいきましょう。これまで支えてくださったことに、この場を借りて感謝申し上げます。
姉へ
昔から、厳しい親のもとにもかかわらず、真面目な姉とは対照的に手がかかる面倒な弟で疎ましく思っていたと思います。そんな中でも、進学や就職活動など、要所要所で色々気にかけてくれて、もの凄くお世話になっていると思います。これから先の人生で良い報告ができたらと思います。これからもよろしくお願いします。
祖父母へ
小さい頃にはよく、泊まりに行ったり、面倒を見てもらったりと、大変お世話になりました。特に祖父は厳しく、心が折れそうになったことが何度もあったと思います。今、期待されていたような立派な男になれているかと問われると残念ながらそうではないと思いますが、厳しくしてもらったことが正しかったと少しでも示せるように、これからの人生を歩んでいきたいと思います。逆に祖母は、特に大学に進学して以降は仕送りをもらったり、生活を気にかけてくれたりと、見えにくいところからお世話になってばかりだったと思います。これからも、身体にはお気をつけて過ごしてください。また、顔を見せに行きます。
そして、この場を借りて、家族以外の方々への想いも記させていただきます。
これまで、ことあるごとに多くの同世代の知人や先輩、母校や大学の先生方、職員さんに何度も支えられて、助けられてここまで来ることができました。もちろん、このチームの中でも、同期、先輩、後輩のほか、監督、コーチ、スタッフの皆さんには、自分の在籍途中にチームを離れることとなってしまった方々も含め大変お世話になりました。特に、嶋﨑監督のほか、BKだった自分は大記さん、啓太さんに厳しくも様々なことを教えていただきました。上岡さん、首藤さん、諸藤さんには、自分が上手くいかない中でも、自分のような下手くそのトレーニングに付き合っていただきました。プレーで恩返しできなかったことが今でも心残りです。ですが、今はまず、そういった方々への感謝を忘れず、これから悔いのない活動をしていきたいと考えています。改めて、これまでお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。どこかでご縁がありましたら、これからもよろしくお願いいたします。
同期への想い
そもそも、自分は途中入部をした立場であり、その上2年間選手として活動していながら、最後の1年間は選手として活動することもできず、自分に対して思うところがある人も少なくないと思います。ですが、チームとして受け入れてくれただけではなく、中には初期から壁を作らずに気さくに、優しく接してくれたり、様々な話をしてくれたりした人もいました。そういったところから、オン・フィールド、オフ・フィールド問わず上手くいかない時にも仲間に助けられてきたという感覚がありました。ただ、選手からスタッフへ立場を変えると決断した時も、そんな皆へ、チームへ、少なからぬ恩義を感じていたためです。信じてもらえないかもしれませんが、これは本心です。残りの短いシーズン、これからもよろしくお願いします。そしてこれは余談にはなりますが、飯行こうなと話していながらまだいけていない人、卒業するまでには行きましょう笑。
最後に、残りのシーズンに向けた話を。今シーズンのスローガン”ROCK YOU”にも込められている意味の通り、このチームの仲間の心も、試合を観に来た人たち全員の心も揺さぶるような、”ROCK YOU”するようなラグビーを最後までやりきり、示しましょう。そして国立競技場に筑波大学のラグビーをとどろかせ、日本一になりましょう。ROCK YOU!
大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い
大学ラグビー人生を表す言葉:「紆余曲折」
ここにいる誰よりも紆余曲折があった人間かも知れません。
例えば、大学入学以降だけでも、このチームでの活動含め、様々な回り道をしてきました。1年次はアナリスト含めなんらかの学生スタッフとして入部をしようとしていましたが、プレーすることへの未練も含め迷いが払拭できず、入部を辞退しました。その後、1年間悩んだ結果、2年次に選手として入部し、2年間活動してきました。にもかかわらず、フィールドの内外で苦しいことが重なり、選手としての活動を諦め、スタッフとしてチームに携わることになりました。悔いがないかといわれれば、絶対に噓になると思います。やりきれなかったことは情けないことだと自分自身でも思います。
ただ今は、誰に何と言われようと、残り少ない期間、自分自身の形でチームに貢献したいと思っています。
Team谷山VROOM!!
中野組よっしゃあ
Team高橋ROCK YOU
3年間という人より短い期間でしたが、筑波大学体育会ラグビー部という恵まれた環境で、このチームで、自分自身にとって大切なものであったラグビーに取り組めたことは自分にとって間違いなく幸せなことだったのだろうと思っています。
残りの大学ラグビーへの想い:「遂」
自分に対して様々思うところがある人も少なくないと思います。また、チームに対して大きく目立った貢献ができているわけでもないとも思います。ここでは書ききれないような、悔しい思い、腹の立つ納得のいかないような思いもたくさんあったと思います。本来であれば、この文章ももう少しゆっくり書く余裕が持てたら良かったなとも思います笑。ですが、今はまず、何と言われようと自分で正しいと考えることを信じて、チームに貢献します。それが地味で些細なことだったとしても、グラウンドに立ち続ける選手たちのために、チームのために、自分がやれることを自分にできる形で地道に最後までやりきります。今、このチームに携わっている素晴らしい仲間と、最後まで駆け抜けます。
以上「4年生の想い」第8回でした。最後までご覧くださりありがとうございました。
次回が最終回となります!12月3日(水)に投稿予定です。お楽しみに!!





