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4年生の思い part6

更新日:10 時間前


日頃より筑波大学ラグビー部への多大なるご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。


シーズンも終盤に差し掛かり、本年度もラストシーズンを戦う「4年生の想い」をお伝えしていきます。

「4年生の想い」では、「なぜ筑波大学を選んだのか」、「筑波大学に入って良かったこと」、「家族への想い」、「同期への想い」、「大学ラグビー人生を表す言葉、残りの大学ラグビーへの決意」について熱い想いが綴られています。ぜひご覧ください!


第6回となる今回は、前澤徹馬(理工4年/神戸)、前田結海(社会・国際4年/西湘)、湯浅大心(体育4年/高鍋)、鎌田翔馬(理工情報生命学術院2年/東京都市大)の4人の想いを紹介します!




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なぜ筑波大学を選んだのか

高1の冬、母校の神戸高校出身で筑波でラグビーをされていた方に「大学でラグビーやっていそうな顔やな」と言われたこと、そして社工に所属しながら活躍しているもう1人の先輩の姿を見て、自分の中に筑波でラグビーに挑戦するという選択肢が生まれました。決め手となったのは、2019年の対抗戦第2戦、慶應義塾大学戦。ゴール前で何度も相手の攻撃を跳ね返し、最後はサヨナラトライで勝ち切り、嶋さんが男泣きする光景を見て、ここでラグビーをしたい!と思い、進路を筑波一本に絞りました。

 

筑波大学に入って良かったこと

「自分で作り上げる楽しさに出会える」ということです。筑波が日本一を目指す上で他の強豪大学と大きく異なる点は、毎日の生活にはじまりチーム作りに至るまで学生自身が行うことです。良くも悪くもすべてが学生次第なので、下級生の頃から自分で考えて行動しなければならず、さらに私立大学との環境の差に理不尽さを感じる場面もあると思います。特に4年生は、他大学以上にその年のチームの結果を左右する大きな要因になると感じています。ですがそこに筑波の可能性と面白さが詰まっています。4年生として過ごす今年は、その面白さをこれまで以上に強く実感しています。

このような環境を作り上げることのできる人材が多く集まった筑波で、先輩同期後輩から多くのことを吸収できた4年間でした。

 

家族への想い

5歳のときにラグビーを始めてから今日まで、ずっと家族全員に支えてもらってきました。土日は家のことをおじいちゃんおばあちゃんに任せて、姉ちゃんを家に残して、両親が自分のために時間を使ってくれていました。ここまで本気でラグビーに向き合えたのは、温かく応援してくれた家族みんなのおかげです。インスタに写真が載るたびに姉ちゃんはいつもいいねを押してくれていました。本当にありがとう。

両親には、浪人の時期も含め大学に入ってからも、何一つ不自由なくラグビーに集中できる環境を整えてもらいました。三田から片道7時間かけて何度も筑波まで来てくれたり、作り置きを送ってくれたりして、いつも応援してくれていると感じていました。大学時代は怪我やプレッシャーにめげてしまう時もありましたが、いつも応援してくれている両親を想うと、また頑張ろうと思うことができました。来年4月からは経済的にも自立できるので、少しずつでも恩返しをしていけたらと思います。

同期への想い

大学2年生の時、プレイヤーを引退しようと本気で考えていた時期がありました。膝の状態と自分の実力に限界を感じていた時、支えになったのは同期でした。練習後の飯やオフの遊び、そして同じポジションの2人がBluesで活躍している姿。しんどい時も前を向いて頑張れたのは、この同期がいたからに間違いありません。Bluesの公式戦デビューとなった試合の後、自分以上に喜んでくれたことを思い出すと今でも涙が出ます。

家に帰っても10時間後にはまた顔を合わせ、衣食住をほぼ共にした仲間との別れを思うと今は少し寂しいです。

 

大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い

大学ラグビー人生を表す言葉:使命

筑波を選んだ使命、4年生としての使命、ラグビー選手としての使命、日本一となる使命。使命を果たすべく、最後まで全力で走り抜けます。




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なぜ筑波大学を選んだのか

一目惚れです。

というのも、天邪鬼で恥ずかしいのですが、学年の大半が近くの私大や専門学校へ進学する高校にいましたが、絶対に国立大学を目指そうと考えていました。また、同時期にコロナ禍の影響で引退試合を満足に終えることができなかったこともあり、大学でラグビーを続けたいとも考えていました。

だからこそ、『文武両道の最高峰、筑波大学』を見た瞬間に、「ここしかない」と思いました。恥ずかしながら入部するまで筑波大学ラグビー部の戦績もプレースタイルも全く知りませんでしたが、その一目惚れを燃料にして受験勉強をしていました。

結果として、1年の浪人期間を経験しましたが、入学してみると同期の2人に1人は浪人でしたし、浪人期間で得られたものは大学で使える武器になったので、全く後悔はないです!!


筑波大学に入って良かったこと

環境に毎日感謝しています。

私自身、天邪鬼な反面、環境に左右されるところが大きいので、周りが自分よりも何倍も努力している環境に身を置くことができて本当に良かったと思っています。だからこそ、色々なことにチャレンジする勇気をもらえましたし、失敗するたびに周りの仲間や友人に支えてもらいながら成長できたので、環境の力って本当に偉大だなと思います。

特に、人間性がかっこいい人が部には多いので、ラグビーのスキルはもちろんですが人として重要な何かをもらったような気がします。そして、これはラグビー部に限った話ではなくて、筑波大学全体を見ても自分軸を持ちながら努力する人が多く、これは自由闊達な校風や皆が一人暮らしをしていることが影響しているのかなと思います。


家族への想い

母へ

22年間支え続けてくれて本当にありがとうございました。

中学で野球部に入部した時、自宅の駐車場でアメフトのヘルメットを被りながらティーバッティングに毎日付き合ってくれたことを一番に思い出します。この練習がなければ野球部でスタメンに選ばれることは絶対になかったと思うし、ここで努力した経験が今でも私の原動力になっています。でも、打った球を何球か当ててしまってごめんなさい。

そして、高校でラグビーを始めた時も、浪人して筑波に行きたいと言った時も、何も言わずに応援してくれて、本当にありがとう。思うがままに生きてきて、金食い息子だったけれど、貰ったものを何倍にも親孝行するので楽しみに待っていてください。

 

兄と姉へ

兄と姉を見ていると、自分も挑戦しなくてはと思わされます。それほど人生を賭けたリスキーなことをしていると思うけど、楽しそうに絵を語る姿は本当にかっこいいなと思います。なかなか会えないけどお互いに頑張りましょう。

 

父へ

私のアクティブさや天邪鬼さは間違いなく父譲りです。何事も少年のように楽しむ父の姿を見て、私も人生をいかに楽しむかを考えて過ごすようになりました。しかし、ボランティア活動や会社のこととなると一気にかっこよくなるので、そんな社会人に自分もなりたいとも思っています。


じじばばへ

じじばばからは、変わらぬ愛情をずっともらっています。高校でラグビーを始めた時は、「危険じゃないの?」と何度も言われましたが、それでも応援に来てくれてありがとう。でも、浪人期には、駐車場の木や部屋の壁とか、ラグビーの練習で至る所に被害を出して本当にごめんなさい。大学でラグビーを続けるために家を出た時、実家の味が食べられなくなるのが一番辛かったけど、じじばばがいることで実家が暖かいから帰省が楽しみになっています。これからいっぱい孝行するから長生きしてください!


同期への想い

4年間本当にありがとうございました!!

挫折の多い大学ラグビーの中でしたが、弱小校出身の自分でも分け隔てなく受け入れてくれたこと、思いつきで色々始める自分を支えてくれたこと、本当に感謝しています。

今までこれほど優秀で努力家な人たちに囲まれたことがなかったので、刺激的な毎日を過ごすことができました。

引退まで残り少ないですが、ROCK YOUな優勝をしよう!!

 

かど・けいた・海斗は4年間仲良くしてくれてありがとう。海外にいても飛んでいくので、年1で会いましょう。


大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い

大学ラグビー人生を表す言葉:亀

 

うさぎが全力疾走するのが筑波大学ラグビー部なので、その中で私は常に「自分は亀だ」と言い聞かせ続けてきました。

だけど最後に勝つのは亀です。引退まで全力疾走で駆け抜けます!





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なぜ筑波大学を選んだのか

大学では、トップレベルの環境でラグビーをしたいという強い想いがありました。進路に迷っていた時期に高鍋高校出身で筑波大学 OBの白栄拓也さんから「筑波来いよ」と何度か声をかけていただきました。高校時代の下宿生活や部活を通してお世話になり、人としてもラグビー選手としても尊敬していた白栄さんと、もう一度一緒にプレーしたい、追いつきたいという気持ちが強くなったことが大きなきっかけです。また、筑波は国立大学で、幅広い分野が学べる事、特に教職課程を履修できることが魅力的だと感じました。


筑波大学に入って良かったこと

生活面でもラグビーも自主自律する環境であったことです。高校から親元を離れ、下宿生活をしていましたが、食事などの面でお世話になっていました。大学では、身の回りのことはすべて自分で管理する必要があり、何事も自分次第でした。その分、学ぶことが本当に多かったです。ラグビーでは、入学してから怪我ばかりで、思うようにいかないことばかりでした。4年間を通して、何度も弱い自分と向き合いました。自分自身を理解することができ、その過程で人として成長することが出来たと思います。

また、筑波大学ラグビー部は、自主性を大事にしており、オンフィールドだけではなく、オフフィールドでチームの運営を学生主体の委員会で行っています。部員全員がチームのために役割を果たし、チーム全員で日本一を目指しています。とても簡単にできることではないです。そのような組織の一員としてラグビーができたことをとても誇りに思っています。


家族への想い

父へ

小さい頃、父がやっている剣道を怖いからやらないといったのにも関わらず、もっと激しくて危ないスポーツを選んでしまいました。やったことのないラグビーに対しても、自分の休日を返上して練習や試合の送迎をしてくれて、高校・大学でも試合を沢山見に来てくれて、ラグビーを趣味にしてくれました。父が応援してくれて、活躍すると自分よりも喜んでくれるおかげで、もっと頑張ろうと思えたし、ラグビーを大好きになれたと思います。これまでは、ラグビーをすることでしか恩返しができなかったけど、これからは社会人として、仕事もラグビーも頑張って、たくさん恩返しをしていきたいと思います。

 

母へ

一番の味方でいてくれてありがとう。これまで自分の選択を尊重し、背中を押してくれたおかげで今の自分があると思っています。自分は本当に恵まれているなと感じることばかりです。15年ぐらいラグビーを見ていても未だにルールは理解できてないと思うけど、それでも誰よりも応援してくれたのは嬉しかったです。母が今までお酒を飲む姿は見たことありませんでしたが、最近帰省して地元のお酒を飲もうとすると一緒に、とお酒を飲む姿がとても新鮮です。次帰省した時も、一緒にお酒飲みましょう。


同期への想い

自分が持っていないものを持っていて、自分ができないことをできる人たちばかりで一緒に過ごせたことを感謝しています。あと、数か月で皆とラグビーが出来なくなると思うととても寂しいです。終わりまで、一日一日楽しんで、全力で駆け抜けましょう。

 

大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い

大学ラグビー人生を表す言葉:恩返し

最初はただかっこいい言葉を選んでいました。ですが、大学ラグビーの想いを考えていく内に、浮かんできた言葉は「恩返し」でした。大学ラグビーを振り返ると周りの人に支えられていて、期待されていたと思います。親、先輩、後輩、同期もそうですが、特に監督の嶋さんとFWコーチの目崎さんにとても感謝しています。自分が大学に入ってきて、すぐ怪我をして、使い物にならなく、自分の存在が扱いづらかったと思います。早く期待に応えたいという思いとは違ってラグビーが出来ず、辛く、落ち込んだ時期が沢山ありました。ですが見捨てることはなく、時間は掛かりましたが、最後まで上がってくるのを期待して待っていてくださいました。4年生になってからは、チームに必要な存在でありたい、今までの分を「恩返し」をしたいという気持ちでラグビーをしています。

 

残りの大学ラグビーへの想い

「為せば成る」という高校生の頃に知った言葉があります。自分の中では、やればできる、やらなければできない、というような意味で捉えていて、単純ですが、とても大事にしている言葉です。今まで、自分ができることを考えて行動し、掴み取ったチャンスはありました。ですが、まだ大学生活で掲げてきた日本一という目標は成せていません。最後まで為せることを最大限為し切り、日本一を目指します。



 


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なぜ筑波大学を選んだのか

私は大学院から筑波大学に進学しました。在籍期間は2年間と、4年生の半分の時間しか過ごしていません。そのため、正確には「2年生の想い」に近いかもしれません。

高校3年生の時、大学(学部)では、ラグビーを続けない決断をしました。しかし、日進月歩で成長していく高校同期たちが、粉骨砕身の努力でラグビーに打ち込む姿をSNSで目にするたび、胸の奥に一抔之悔が積もっていきました。

 

そして、就職活動か大学院進かを迷っていたとき、「筑波大院に進めば、もう一度、闘球可能ではないか」と考えました。

そこで当時大学院でコーチをされていた柴田晴悟さんに連絡を取り、院生でもプレイヤーとして部に所属できるかを伺いました。

 

すると、「No one is doing it, but it's not impossible.」というお返事をいただきました。

その言葉に背中を押され、筑波進学を選びました。大学院の合格が決まった後、嶋崎監督のもとを訪ね、焼肉定食を囲みながら闘球入部の意思を伝えました。

 

筑波大学に入って良かったこと

人の良さです。

入部する前は、「年上だけど1年目」という特殊な立場もあり、この2年間はきっと孤立するだろうと思っていました。しかし、実際に入部してみると、気を遣っている自分の様子を察してか、みんなが積極的に話しかけてくれました。

 

特に入部したばかりの頃、練習後にご飯行こうぜと誘ってくれた星、大町、岩重、イーゴリの4人は今でも強く印象に残っています。

そのほかにも、八方美人の高田、軽口放談の前澤、偶像崇拝の茨木、体線極細の濱島、兄弟顔父の楢本など感謝している人を挙げれば枚挙にいとまがありません。

 

最後に一つだけ物申したいのは、「後輩に奢る文化」です。

普段の会話では同期や後輩としてタメ口なのに、食事のときだけは急に先輩として奢らされる。

……どうか、逆でお願いします!


家族への想い

今年で25歳になりますが、ここまで遠慮なく脛をかじらせてくれて、本当にありがとう。特に筑波に来てからの約2年間、一人暮らしを経験したことで、両親のありがたみをこれまで以上に痛感しました。

 

学部生の頃は、家に帰れば美味しい食事が用意されていて、脱いだ服は洗濯機に入れさえすれば、いつの間にかきれいになって自分の部屋に戻ってくる。

そんな当たり前のように思っていた日常が、どれほど支えられていたものだったか筑波にきて痛感しました。夜遅く帰っても寝ずに(ソファで寝てた?)待っていてくれて、「おかえり」と声をかけてくれる。筑波に来て、「ただいま」に返事がない時に、その温かさを改めて感じました。実家に帰るたびに、お母さんの料理の美味しさに感動し、そしてお父さんの毎月の仕送りがなければ、今ごろきっと痩せこけていたことでしょう。

自分のやりたいことをいつも優先させてくれて、本当に感謝しています。

 

あともう少しだけ、脛をかじらせてください。一生の思い出を作れるように全力で頑張ります。

 

同期への想い

同期へ想いを馳せるまえに、「同期」とはなんでしょうか。同じ年に入学したことを同期とするなら今の2年生の海斗や浜浦、同じ年に卒業とするなら今の4年生の城戸や前澤、同じ学年とするなら修士2年の慶樹や晃弥、同じ年齢とするならまゆちゃん(磯部の姉)…

 

とりあえず自分には同期がたくさんいそうです!みんな仲良くしてくれてありがとう!

 

大学ラグビー人生を表す言葉&残りの大学ラグビーへの想い

大学ラグビー人生を表す言葉:隣の芝は青い

Reds練を人工芝でしていると、天然芝で練習しているBluesが青く見えました。いや実際に青かったのかもしれない。残された期間で大学院生の可能性を示したいと思います!




以上「4年生の想い」第6回でした。最後までご覧くださりありがとうございました。

次回11月25日(火)に投稿予定です。お楽しみに!!


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