ラストブログ
- s2211553
- 9月2日
- 読了時間: 13分
こんにちは。競泳4年の石川大智です。
ついに私もラストブログを書く時がきました。
今回は、私・石川大智と、男子主将である井上嘉人の2人でお届けします!
まずは私から書かせていただきます。
これまで同期のブログを読んで、何を書こうかなとずっと考えていました。
やっぱり最後くらい、自分が人生で感じてきたこと、体験してきたことを正直に全部書きたいと思います。
思ったままを書いていくので、少し文章が変だったり長くなったりするかもしれませんが、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
僕は2歳から兄の影響で水泳を始めて、
気づけば20年も経っていました。

僕は幼少期からバンバン速い選手というわけではなく、小さいコミュニティの中で、ワイワイ水泳を楽しむ、そんな選手でした。
中学生に上がってから少し勝ち負けを気にしはじめるようになり、レースで泣くみたいなことが多くなりました。
そんな情けない自分でも、県大会も個人で出られないところから県大会2冠できたり、全国大会に出場したりできるところまで成長できました!この頃が一番水泳を純粋に楽しんでいたと思います。
高校ではインターハイや日本選手権に出場できたものの、出場で終わってしまうレベルまでしか行くことができませんでした。この頃は、水泳が自分の仕事みたいな感じになっていて、全然楽しくなかったし、スイミングのコーチともバチバチ喧嘩しました。高校では、勉強もクラスで1位取れるくらいでは頑張っていたので、水泳をやめて、勉強で大学に行き、獣医の勉強やバドミントンしたいなとかを考えていました。
でも、筑波大学から推薦をいただけたし、コーチやお母さんに全然恩返しできてないなと思ったので、大学でもう一踏ん張りしようと決め、大学でも水泳を続けました。
1年
大学に入学し、人見知りだったので友達できるかとか部活でいじめられないかなとか色々考えて不安しかなかったけど、優しい人ばっかりですぐに楽しくなりました!!
半年練習して初めてのインカレ。

一番緊張したのは、メリレの予選です。
予選要員で出させてもらいましたが、先輩方は偉大すぎるし、周りには知っている速い人しかいないし、『絶対組2位以内で着いて』って先輩に言われるし、ほんとに緊張で死ぬかと思いました。でも、超楽しかったし、もっと速くなって戦いたいなと思いました。

でも冬シーズンに入ると、切れていたはずの日本選手権が切れず、レース後、智也さんが慰めに来た瞬間、大号泣しました。自分でもびっくりしました。みんなもちょっと引いていました笑
とても悔しくて情けなかったです。
2年
その悔しさを思い出しながら挑んだ2回目のインカレ。

1番の思い出は、メリレの決勝です。
タイムもそうですが、何より下で応援してくれていた4年生の姿がとても嬉しかったです。ビデオを見返すとすげー飛び跳ねて応援してくれていたし、泳ぎ終わったら新さん泣いてくれたし、すごい印象に残っています!
その冬シーズンでは、甫本さんブロックで、選手権切りを目指して練習していて、少し『考えること』を覚えました。泳ぎの構造を理解しながら泳ぎ始めたのはこの頃です!
少し遅いですね笑。ちょっと成長です!
3年
大学も後半戦。そろそろ個人で活躍しないといけない時期だと自分の中で思っていました。しかし、インカレでは、去年のタイムも越えることはできず、自身の退化を感じました。それでもなんとかリレーでは49秒で泳ぎ、チームに少しだけ貢献することはできましたが、自分の中では自分に失望しました。
自分に失望して、何が足りないのかを考えました。
それは、『できると思う気持ち』だと思います。
なんだ、気持ちかいって思う人もいると思いますが、やっぱり大事だと思うんですよね。根性論じゃないけど、できるって思わないとできないし、思ってないとできるようになる練習を積めるわけがないと僕は思うんですよねー。
だから、冬シーズンは、何もかもできると思って練習しました。副キャプテンとしてチームを陰ながら支えようとしたり、早稲田合宿に行って、自分より早い人に必死に食らいついたり、自分に足りないところをダウンの時に練習したり、ウエイトのメニューを追加したりなど、できることはできるだけやりました。そのおかげで、いつもよりも早い時期からタイムが上がってきて、絶対大ベスト出せると思っていました。
そんな時、家で失神し、左足二箇所骨挫傷で松葉杖を着きました。失神した原因はわかりません。頑張りすぎたのかもしれないし、たまたまなのかもしれないし、それはわかりません。しかし、今シーズン残り2ヶ月という時期にこの怪我は絶望的でした。普通に嫌になったし、結構後ろ向きになってしまったので、たくさんゲームしたりご飯たくさん食べたりしました。
でも、思ったんですよ。こんだけ周りの人に協力してもらって、けがして無理でした。なんて言えないし、シーズン最初でできると思えばできるって言ったやん!って。
僕は結構単純なんで、この感じで前向きになれます!怪我しているからできない、怪我しちゃったから仕方ない、そんなわけないんです。怪我してもできることはたくさんあるし、それを言い訳にしてはいけないと思い、3日ぐらいで立ち直りました!笑
そこからはみんなが心配するほど、練習に行き、懸垂やスタビ、壁を蹴らずにプル泳をしました。監督からも一回休もうと言われ、3日間ぐらい家で待機と言われるほどやってました。その結果、ベストは出ましたが、目標には大きく及びませんでした。これによって、最後のインカレへの不安が押し寄せてきて、どうしようと結構真剣に悩みました。
4年
冬シーズンで大きな悩みを残してしまいましたが、それもすぐに解消できました。
だってもうやるしかないんです。
どんだけごねても半年したらインカレは来るし、終わりは来てしまいます。
それならいち早く次の目標に向かってただひたすらに頑張るしかないと思い、より一層集中して頑張りました。
しかし、いつもタイムが上がってくる時期に上がってこず、カンカレの決勝にも出れない、同期・後輩に追いつかれ抜かれる、後輩に落ち着いてくださいって言われる、そんなシーズンです笑
こんな感じなので、後輩や同期から本気の心配であったり、みんなからあんまり期待されていなかったりするのは、分かってます。
でも、大丈夫です。
僕できるんで。

この自信満々な顔と筋肉が証拠です!
今年は、キャプテン大好きの
『根拠のない自信』もあります‼️
安心してください!
たくさん僕の水泳人生を語ってきましたが、決して成功した人生ではありません。しかし、その中でも学び得たことは数えきれません。その一つ一つがこの先の人生で必ず役立つと信じているので、水泳に出会えたことに感謝しかありません。
最後に感謝を書きたいと思います。
お母さん
ここまでたくさんのサポートをしてくれてありがとう😊
また、長い間、水泳を続けさせてくれてありがとう!!
日本で一番良いママです。
特に最近、ママは僕に『大変な人生になっちゃってごめんね』と謝るけど、不幸だと思ったことは一度もないし、逆に、一番幸せだと思っているから大丈夫!!
スイミングへの片道45分の送迎、僕がいち早く栄養補給できるように車に夕飯を作ってきてくれたこと、僕たちの生活を守るために始めてくれた仕事、大学での仕送りや惣菜などを送ってくれたことなどなど、ここには書ききれないほどのサポートをしてくれたこと、感謝しきれません。ずっと結果で笑わせてあげたいなと考えていたけど、今までできませんでした。
なので、最後笑わせてみせます!
しっかり見ててね!
小川コーチ
とんでもないクソガキだったのにも関わらず、根気よく指導してくださり、ありがとうございました。高校までは『なんやこいつ』と思ったこと、数えきれませんが、今となっては自分のことを思ってもらえていたのだと理解していますし、とても幸せなことだったと思います。コーチをオリンピックに連れて行ってあげると言ったこと、達成できず申し訳ありません。でもインカレでそれ以上に見応えのあるレースをしますので、期待してみててください!
同期
自我や思想の強い人が多くて、4年間とても濃かったと思います。こんな濃い4年間を過ごさせてくれてありがとう!みんなで出る最後の試合、チームを盛り上げて、最高の形で終わろう!!
後輩たち
あんまり頼り甲斐のないただの筋肉の塊みたいな僕についてきてくれて、ありがとう。
あと、いつも滑舌悪くて、何言ってるかわからないのに、愛想笑いしてくれてありがとう!今回は文字だったので、伝わっていたら良いなと思います!
大学ではいろいろなことがあって、困難なこともたくさんあるけど、できると思ってればできるから!!頑張って!
インカレもそのくらいの気持ちで、楽しく笑顔で一緒に頑張っちゃいましょう!!
他にも、ここには書ききれないほどの人に支えてもらって今の僕がここにいます。本当にありがとうございます。
その全員がインカレを見ているかは分かりませんが、最後の最後、かっこよく終わる姿を見せますので、ぜひ期待していてください!!
長い文章になってしまいましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
石川 大智
それでは、最後は待ちに待った井上キャプテンのラストブログです。
どうぞ!!
こんにちは。井上嘉人です。
時の流れは早いもので、一生泳ぎ続けるんじゃないかと思っていた小中学生の頃から10年ほど経ち、いよいよ水泳を引退しようとしている自分に実感が湧きません。
自分語りをする機会なんてそうそうないので、水泳人生を振り返ってみようと思います。
水泳を始めたころに関する記憶は幼すぎてありません。気づいたら水の中にいました。
幼稚園生の頃は一般クラスで泳ぎを習っていて、昇級するとご褒美がもらえることがありました。割と順調だったと思います。
小学校1年生に上がるタイミングくらいで神奈中スイミングスクールに移籍し、選手クラスに入りました。ここから僕の競泳人生は始まりました。
小学生の頃はとにかく距離を泳がされたのでキツかった記憶がほとんどです。当時は今よりもご飯が食べられな過ぎて合宿に行くたびに泣きながらご飯を食べていました。
ただ、結果がついてきていたことと、スイミングの友達と過ごす時間が楽しくて泳いでいました。
中高生では部活とスイミングの両方で練習をするようになり、水泳自体の楽しさ、部活というものの良さに気づいていきました。
競技の成績は中学受験の影響もあり、小学生の時ほど華かなものではなかったけれど、泳ぎについて考えて試行錯誤する楽しさを知れたのは部活動の顧問の先生方やチームメイトがいたからだと思います。
成績が振るわない中でも全国大会に出場できていたリレーはそれはそれは楽しいものでした。あと男子校だったのもあり、男だけの世界でいろんなバカなことしてたのもシンプルに楽しかったです。
スイミングクラブでは自分が所属していたブロックのメンバーが年を追うごとに少なくなっていき、コーチもそこまで口出しをするタイプではなかったので泳ぎについて考える力がついた気がします。
大学で水泳を続けるかどうかについては引退直前まで迷っていました。
続けようと思ったきっかけは、引退レースが終わってもなお「自分の限界はここではないな」と思えたからでした。
大学に入ってからは毎日が刺激的でした。
今までは部活の中で1,2番に速かったのに対し、筑波では当然下から数えた方がはやい実力でしたし、練習では1本も勝てないなんてことは当たり前。大智の隣で泳いでいて、「こんなバケモノにどうやって勝つんだよ」って思ってました。
コロナもあり、1年生の夏のピーキングではプラス1.8秒という散々な結果でした。おまけにサポート組としてインカレの会場にも行けず、梓と2人で在宅観戦したのを覚えています。悔しいという感情すら湧いていなかったと思います。
そこからシーズンオフを挟み、練習に対してもっと考えて取り組もうと思いました。速い選手の泳ぎを見て体の使い方を真似してみたり、同期や古賀さんと話したり、ゴールセットの1本目を全力で行ってみたりと、とにかくいろんなことをしました。その甲斐もあって冬のピーキングではインカレの標準記録を2種目突破することができました。
あと印象に残っているのは3年生の夏シーズンです。ここではベストが一緒くらいの後輩が入ってきてインカレの出場枠を争うことになった焦りと、あと引退まで1年半しかないという覚悟で努力のギアが1段階上がりました。今までの努力が甘かったなと思えるくらいには頑張りました。
そのおかげでなんとかインカレの枠を勝ち取ってすごくホッとしたのを覚えています。ここで拓希が入ってきてくれたからこそ今の自分があると思います。ありがとう。

この年の全国公ではベストを約0.5秒も更新することができて、半フリの泳ぎ方がやっとわかった気がしました。
冬シーズンが始まり、主将になってからは「チーム」や「リーダー像」について考えました。
一般で入ってきて、実力劣る自分がみんなを引っ張っていくために、どうあるべきか、どうなるべきか。
リーダーに必要なのは人格か、実力かみたいな話がありますが、実力はあればあるだけ良いに決まっていますし、今までのキャプテンがインカレの個人やリレーで活躍し、チームをガンガン引っ張っていったかっこいい姿見ているので、今のままではみんながついていきたいと思えるようなリーダー像ではないなと自覚していました。
だからこそこの1年、あのかっこいいキャプテン達みたいになれるように、越えられるように自分なりに努力してきたつもりです。
結局リレーや個人2種目に出場し、泳ぎで毎日インカレを盛り上げられるようなキャプテンにはなれなかったけど、僕が出場する4日目だけは筑波に勢いをつけるレースをしてみせます。
ここからはこの場を借りて感謝の言葉を述べさせてください。
先生、スタッフさん
とても良い練習、環境を作ってくださり、ありがとうございました。
自分で考えて練習ができる環境は皆さんのサポートがあってこそです。その集大成を最後に見ていただけたらと思います。
OB
僕が前よりもムキムキになれたのはOBが作ってくれたメニューのおかげです。
俊貴さん、週3ウエイトでクソお世話になりました。週3の成果ちゃんと見ててください。

後輩たち
この1年頼りないキャプテンについてきてくれてありがとう。
今年の君たちはいつもと違うとお世辞抜きで思います。自分ならできると信じて4日間戦い抜こう。
同期
この1年は特にみんなに支えられていました。ありがとう。
紆余曲折あったけど最後はみんなが笑って終わってほしいと思います。
このインカレを4年生で盛り上げよう。期待してるよ4年生。

幹部
僕の至らない部分をサポートしてくれてありがとう。
この1年みんなのおかげでとてもやりやすかったし、救われた部分も大きかったです。
幹部がこのメンバーで本当に良かったです。
両親
どんな時も僕の意思を尊重し、応援してくれた両親には感謝してもしきれないくらいの恩があります。
僕よりも水泳が好きな母にはせめて最後のインカレでかっこいい姿を見せて恩返ししたいと思います。
このチームでの最後の試合となるインカレ、1人1人が自分のしてきた努力、自分の可能性を信じて究極のパフォーマンスを発揮しよう!
GO TSUKUBA‼
20年の経験と努力を20数秒という一瞬にぶつけて「一般の星」になってみせます。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
失礼します。
井上嘉人
以上となります。
いよいよ明後日に迫ったインカレ。
チームスローガン「黎明」に相応しい大会になるよう、チーム井上一丸となって取り組んでまいります!
応援のほど、よろしくお願いいたします!!
【大会情報】
大会名:第101回日本学生選手権水泳競技大会
期日:2025年9月4日(木)~9月7日(日)
会場:東京アクアティクスセンター
それでは失礼します。





