全国公への意気込み‼
- s2211553
- 8月3日
- 読了時間: 10分
こんにちは、競泳4年の永井梓です。
最近は本当に暑いですね。筑波では練習後に誰かがアイスバスを作ってくれるので、みんなそれに入って涼んでいます。
さて、本題に移ります。
今回は来週の全国公で引退を迎える2人の4年生(私と幹太)の引退レースに向けた意気込みです。
まずは僕自身の思いを綴っていきたいと思います。
思うままに書いた拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
正直、水泳の引退試合が間近に迫り、とても緊張しています。
せっかくなので水泳人生を振り返ってみたいと思いました。
選手になったのは小学校に上がると同時に選手コースに入ったのがきっかけでした。その後、小3の春にJOを決めてから、他の習い事を全て辞め、水泳に生涯を捧げてきました。小学生の頃はJOも出場できていたし、神奈川県でもそこそこの成績を残していたので、水泳人生の中では一番順調だった時期かもしれません。
ところが、中学に上がる前からJOが切れなくなり、全中出場を目標にしていた中学三年生の時には関東中学にも行けず、結局中学生の夏の大会である全中予選では一度もベストを更新出来ず、という悔しい中学生の夏でした。
中3の夏が終わってから、小さい頃から目標にしてきた友達の誘いや、家から遠いクラブで練習に参加できない日がある状況を加味して、中3の秋にクラブチームをセントラル東戸塚からセントラル藤沢に移籍しました。
当時のセントラル藤沢は練習が厳しいことで神奈川セントラル界隈でも有名であったのですが、速くなるためなら頑張りたいと思い、練習にもなんとかくらいついて行きました。週三回、朝練のために5時10分くらいに家を出て自転車で7キロ。そこから学校に行って、また午後練と水泳三昧でした。その成果もあってか、練習で自分が成長していくのがわかっていたような気がしていました。
しかし、楽しみにむかえた高一の夏、ベストは更新できませんでした。
正直またか、、、と思いました。一緒に練習していた友達がベストを出したり、関東を決めている姿を見て本当に自分が情けなかった。
この時キャプテンの井上くんが関東を決める姿を見て、とても勇気をもらった記憶があります。笑
コロナもあって、高校生活は振り返るとあっという間でした。
色々頑張ってみたものの、夏の県高校では一度もベストを出せず、また関東高校にも行けないまま三年間が終わりました。高校生の途中あたりには、残念ながら自分にはその才能はないのかなと思い始めていました。
今までの自分の努力を否定したくない。
才能がない人でも努力すれば全国大会に出れることを証明したい。
そう思って大学でも水泳を続けることに決めました。
そこから、水泳への熱は抑え、受験勉強を頑張ったのでなんとか筑波大学に入学することができました。
大学に入学してからは色々ありましたが、
印象に残っているのは
・一年生の冬のピーキングレース
・二年生の夏
・3年生の全国公
ですね。
一年生の夏のピーキングレースは多分受験のブランクもあり、何もできずに終わってしまいました。インカレもコロナの影響で会場には行けず、自宅で観戦するだけでインカレ特有の感動やチームで戦うということはわかりませんでした。
10月から代が変わり、練習面では担当コーチが優作さんになりました。平泳ぎの選手が多かったことから、引き続き個人メドレーに挑戦することになりました。IMブロックは当時の3グループの中では1番泳ぐチームで、泳力の低い僕は毎回の練習でクタクタになっていました。リクトレでも追い込みすぎて、握力がなくなり、水着の紐がうまく結べないと優作さんに毎回言っていた気がします。水中では男子が一人だったので、先頭を任されるも、同期のひなたや2つ上の理音さんに何度も追いつかれました。それでも休まず、食らいついて行ったことで、11月ごろのウィンターカップではベストを出すことができ、そこからシーズンが終わるまで毎回ベストを出すことができました。冬のピーキングレースでは個人メドレーに加えて平泳ぎもエントリーしていたのですが、4日続きのレース日程の初日の1ブレで1.5秒近くの大ベストを出すことができました。嬉しさよりも驚きが勝つ、あの感じがたまらなかったですね。その後3日間も出る種目全てで1秒以上のベストを更新できたので、忘れられないピーキングレースの一つです。
2年目の全国公は長水の公式タイムでは3年半ぶりにベストを出せたものの、全国公前の筑波のダイブで出したベストよりも、1.5秒も遅く、満足のいく結果とは言えませんでした。
しかし、その時全国公組だった4年生の新さんと智弥さんが2種目ともベストでチームが大いに盛り上がる瞬間に立ち会い、自分も頑張ってきた姿をずっと見てきた二人がベストを出して、感動して泣いていました。この大会までは正直、遅い自分はベストを出すのは当たり前で、大ベストを出さない限り、価値はないと少なからず思っていました。しかし、ピーキングレースでベストを出すことの難しさ、泳力が高くない人でもベスト更新によって人の心をこれだけ動かせると学びました。
この年はインカレにもサポートとして付いて行きました。10年ぶりくらいに生で見た全国大会はそれはそれは熱い夏でした。本当にいくつものドラマがありました
理音さんの悲願の決勝進出、凜さんのベストを出す姿やリレーでの大逆転、やっとレギュラーを掴みとった悠世さんの完璧なレースに同期たちのリレーでの活躍。本当に何回感動で泣いたかわからないくらい、いい試合でした。
1ブレが終わった時の凜さんのガッツポーズと理音さんの決勝を決める瞬間、2ブレの悠世さんのパフォーマンスは本当に忘れられません。写真も載せちゃいます。



自分もインカレで引退したいと強く思うようになりました。
3年生に入るともう一度なぜ、インカレに出たいのかを考えるようになりました。
高校生の時に思った才能がなくても全国に出れることを証明したいと言う思いは変わらず、そのほかにも同期と一緒にインカレで戦いたいと言う思いも強くなっていました。また、歩優が入学してきたことで、歩優から6年前にもらっていたメッセージも脳裏に焼き付いていました。
いつか全国大会に一緒に行きたい。
歩優は覚えてないかもしれないけど、大学でまたチャンスがきたことをとても嬉しく思っていました。

3年生の夏は本格的に平泳ぎもやって、夏のピーキングレースも出たいと思うようになりました。しかし、チーム事情もあり、出場は個人メドレーのみとなりました。
この年は、個人として、夏のピーキングレースでやっと完全なベストを出すことができました。全国公組の上級生として勢いを少しはつけることができたのではないかと思いました。夏の試合でベストが出せない。そんな状況からやっと抜け出せた瞬間だったので嬉しかったです。
僕が最後の冬シーズンに掲げていた目標は1ブレでインカレ標準記録突破でした。

また、旗に書いた文字は「感謝と覚悟」でした。
今まで関わってきた人たちに感謝をすると共に、覚悟を持った1年にする。そういう思いを込めました。冬シーズンは嫌いなウエイトでも積極的に追い込み、食事にも気をつけて体重も増やしました。スイムでも積極的に前に行ってみたり、一本でも多く、格上のチームメイトに付いていくことを意識していました。体調にも気をつけ、インフルのワクチンなども打ったのですが、結局インフルにかかってしまい、増量した体重もリセットされるなど、運が悪かったですね。インフルの影響もあってか、ピーキングレースでは1年生以来となる平泳ぎでのベストとなるも、満足のいく泳ぎはできませんでした。その一ヶ月後の冬季公認でインカレを狙いに行きましたが、あと1秒足りませんでした。まだ夏季公認がありましたが、ピーキングレースでないことを考えると、10年近く掲げてきた全国大会への出場が叶わないことが確定した瞬間でした。落ち込みはしましたが、意外と気持ちの切り替えは早かったと思います。それはやっぱり、新さんと智弥さんが全国公組でもチームに貢献できることを教えてくれたからだと思います。
最後のシーズンは怪我に苦しんだシーズンでした。体をもう1段階仕上げようとシーズン始めは意気込んでいましたが、4月下旬にウエイト後に肩が上がらなくなり、キック中心で練習をするようになりました。キック中心にした後には平泳ぎをすると足が痛いという今度は下半身も負傷してしまいました。それからウエイトはできないし、スイムも調整しつつ行う日々。冬シーズン怪我をした大智に「急がば回れだぞ」と何回も言っていた自分ですが、その度に大智に「回っていたら間に合わない」と言われていました。その気持ちが痛いほどわかるシーズンでした。
このブログを書いている全国公直前にも発熱をしてしまったりと体はもうボロボロですが、もうやるしかありません。根拠なんてないかもれないですが、ベストを出す自信はあります。
うまくいかないことばかりだったけれど、それでも続けてきたこれまでの水泳人生のすべてをこの全国公にぶつけます。
Go!Tsukuba!!
最後に感謝の言葉を。
まずは同期。
本当にいつもいつも試合で活躍する君たちの背中はかっこよかったです。
たくんさんの勇気をもらってきました。ありがとう。
先にピーキングレースを迎えますが、幹太と共にベストで終わってみせます。
次に優作さん
1年生の全国公組の時からはや3年半、本当にありがとうございました。
優作さんが指導者だったから筑波の練習は楽しくできました。中園ブロック最後の一期生として、いい思い出を残してみせます。
次に両親
小さい頃から支え続けてくれてありがとう。ここまで長く水泳ができたのは小さな支えをたくさんしてくれたおかげです。
次に充千穂
中高生の時に何度も折れそうになった時にいつも元気をくれたのは充千穂だった。充千穂がいなかったら、多分大学まで水泳を続けていなかったし、本当に感謝しています。高知まで見にきてくれるバカはお前くらいだよ。笑
ありがとう。
神奈川県で仲良くしてくれた方々
試合のときとかに話しかけてくれてありがとう。大学生になってからでも手を振ってもらえるだけで本当にうれしかったです。
最後に筑波のみんな
正直、後輩たちを引っ張っていくことができていたかはわからないけれど、仲良くしてくれて、ついてきてくれて、一緒に練習してくれてありがとう。
僕は筑波が、このチームが大好きです。
最高の夏にしましょう!!
すごく長くなってしまいました。ごめんなさい。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
永井 梓
続いて、同じく全国公で引退を迎える幹太です!どうぞ!!
こんにちは。 “メガネが本体“こと小橋幹太です。

最初で最後のブログ、何を書こうかと迷いましたが、ラストレースを前に今感じていることを素直に綴ってみたいと思います。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
4年間を振り返って、最初に思い浮かぶ言葉は「楽しかった」です。
大好きな水泳を思う存分やることができましたし、素晴らしい同期、愉快な後輩、優しい先輩にも恵まれました。 そんな仲間とともに競泳に打ち込んだ日々は、自分にとってかけがえのない時間でした。
「楽しかった」と心から言えるのは、目標に向かって仲間とともに本気で頑張り抜いた経験があるからこそだと思います。そしてこの経験は、いつか自分が人生の岐路や、重大な場面に立ったとき、そっと背中を押してくれる力になる気がしています。
一番の感想が「楽しかった」とはいえ、全てが楽しい事だけだったかというと、そんなことはありません(笑)。 苦しかった練習を思い起こせばキリがありません。基礎的な体力が不足していたこともあり、練習についていくのは中々大変でした。
(サイクルアウトもたくさんしました…)
ただ今振り返ると、その苦しい練習さえも、全部ひっくるめて楽しかったなと思います。
そんな楽しい水泳部ライフも、いよいよ終わりが近づいてきています。
4回目の全国公が迫ってきた今、どんな記録がでるのだろうというワクワクとともに、この独特の緊張感もこれで最後かと少し寂しい気もします。
4年間の集大成、これまでの練習の成果を発揮し、しっかり自己ベストを更新したいと思います!
最後に同期へ4年間、本当にありがとうございました。感謝でいっぱいです。
全国公、インカレと全てを出し切って、笑顔で終わりましょう!
小橋 幹太





